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August 19, 2007

2020年の日本人

2020年の日本人は、「人口減少時代をどう生きる」が副題ですが、今までの日本経済の分析にも興味深い考察が行われています。

著者の松谷氏は、日本では労働生産性の伸びに比べて賃金の上昇幅が低いことに注目。つまり適正な給料が払われていない。

その結果、価格競争力がある製品を送り出して、奇跡的な戦後の復興をを成し遂げたものの、これは日本の労働者の犠牲の上に「海外の消費者」が安い製品の恩恵を受けたということだと論じます。

日本は先進国入りした後もその傾向が変わらず、円高になると、さらなる機械化や長時間労働で精一杯頑張ったものの、所詮為替による価格高を完全には吸収出来ませんから、高度経済成長時代に比べれば競争力は低下しました。

結局この25年、企業は賃金を削って設備投資した割りに国民は豊かにならず、「あえていえば機械が一番得をした」と結論付けています。

設備投資偏重の結果として、本来人間が出来ることまで機械化されるなら、製品は過度に企画化され、薄利多売が必要となり、企業は利益よりも売上志向となります。

常々思いますが、日本では機械化=便利さ、と宗教的なまでに信じられており、何でもかんでも自動販売機になってしまいます。
これはリテラシーの無い高齢者には不親切であり、客と販売員との僅かなコミュニケーションさえ無くなり、ある種の職業を奪っているというさえ感じられる現実があります。

今首都圏の多くの駅のKIOSKは「計算の速いおばさん」をリストラし過ぎたたため、未稼働です。
便利さは無言社会を生み育て、いざという時のコミュニケーション能力は退化しています。

日本では、最近でこそニッチで個性的な商品が見直されてはいるものの、車でも食品でも、少しだけデザインや嗜好を変えただけの「新商品」がやたらと登場します。

そのたびに膨大な研究費が費やされるのでしょうが、例えばビール業界が手を変え品を変え繰り出す新商品の味はどれも似たり寄ったり。
私の好みからいえば、600年同じ製法の「レーベンブロイ」の方がずっと旨く感じられます。

同じ製法、同じ設備で長く売れる商品が作られれば、新規設備投資が必要なく、その分は賃金となり、消費に変わり、内需主導的な社会を構築します。

設備投資の偏重はある意味で熟練技術に冷たくなります。

日本という国は、そもそも「匠(たくみ)」の国であり、一芸を極めた人物を尊ぶ風土がありますが、バブル後の経済停滞や若年層の職人離れもあり、近年では「熟練工技術」が国内で十分に継承されず、ずいぶんと海外へ流出しました。

GDPから資本減耗(減価償却費)を差し引いたものが国民所得ですが、この国民所得の対GDP比率が低いことにも著者は注目しています。

生産のための機械仕掛けが大げさ過ぎるため、生産性が低くなり、豊かさの実感が得られていないのではないか。

確かに日本の製造業は、古い設備を次々に更新しなければ国際競争力を維持出来ない、と考える傾向が労使双方に強く、そのためには賃金を節約してでも内部留保を進めることに、抵抗が少ないようにも感じます。

日本人が、何でも国内でフルラインアップで作ろうとするのは、物量戦でアメリカに負けたという意識から出発しているからだとの指摘は、確かにその通りだろうと感じますし、その結果、非効率分野が残ると同時に参入障壁が高く閉鎖的な国となって今も苦しんでいるのだとしたら、どうにも悲しすぎる民族という気がします。

資源に乏しく、国土が狭く、人口は多い。
この国が植民地化せずに生き残ったのは、国民の勤勉さに負う事は間違いありません。

しかしながら、世界の平均より明らかにハードに働いて、一体何が得られたのか。
それは働きに見合うものなのか、そしてこれからどう働き、どう生きるのか。

人口減少を機会に、それをもう一度問い直したい、というのが著者の願望でしょう。

全体に難しい算式などは排除し、丁寧な日本語で説明されているので大変読みやすく、各所で評判が良いのも大いに肯けます。


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