ジャガイモの世界史
食べ物を通じて世界史を見るという試みには、身近なモノから壮大な歴史を感じるという楽しさがあります。
「砂糖の世界史 (岩波ジュニア新書)」もジュニア向けとは言え、かなりの面白さでしたが、中公新書「ジャガイモの世界史―歴史を動かした「貧者のパン」 」も、そうした一冊です。
私は北海道に行くと、必ず「じゃがバタ」を注文します。
あのホクホク感とバターの濃厚さの取り合わせが、最も北海道らしいような気がするのです。
しかし、それを見る北海道の叔母は、「貧しい頃を思い出すから食べない」と言います。
現在スナックに、酒のお供にと「ポテト」は大人気ですが、かつて「イモ」は貧困と同義語でした。
15世紀、原産地ペルーからヨーロッパに渡ったジャガイモは、寒冷地でも育つその特徴から次第に重宝され、ジャガイモをいち早く育てた国が、人口を増やし、国力を強めました。
フリードリヒ大王が積極的にジャガイモ栽培を奨励したプロイセンはヨーロッパ最強の軍事国家となり、二度の世界大戦を引き起こした要因の一つとなりました。
フランスに比べて緯度が高く、農作物の栽培に不利だったドイツは、ジャガイモにより、そのハンディキャップを克服したともいえそうです。
ヨーロッパでは元来豚は放し飼いで森のドングリを食べさせていましたが、ジャガイモを餌にすることで豚の飼育が増え、その豚肉から作られたハムやベーコンがジャガイモとマッチして定番の「ジャーマンポテト」に。
ジャガイモ疫病によるアイルランドの大飢饉は良く知られていますが、他の国は他の農産物で生きながらえました。
アイルランドは小麦ができる耕作地のほとんどを英国に支配され、残された不毛の地でジャガイモ単作に頼るしかなかったのです。
移民を乗せた船が新大陸へ船出する一方で、英国支配地域からは穀物を満載した船がイングランドへ向かったとされています。
北海道の開拓民や、シベリアに抑留された日本人を餓死から救ったのもジャガイモ。
現在ジャガイモ世界一の生産量を誇るのは中国です。
極端に二極化された中国では、富者は築地で買い付けた大間産マグロの寿司を食い、貧者は依然としてジャガイモに頼っているのでしょう。
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