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June 22, 2008

ポスト消費社会の行方

金曜日のDOWは220$値下がり。
市場はもう一度米経済の弱さを織り込もうとしつつあり、WTIは反発に転じました。

資源や食料に投資資金が向かうことは、長期的にはエネルギーの節約促進につながるのかもしれませんが、短期的には先進国の暮らし向きを悪化させます。

大手商社の合計利益がトヨタを抜いたという記事がありましたが、汗水流した職人的努力が軽視されるという事態に、日本では疑問と不満を抱く人もいるでしょう。

そもそも市場とは、成長するべき産業へと資金を招くことで全体の福祉に貢献するという機能を持つはずですが、原油価格の高騰は、「市場の正当性」を疑わせる材料と使われる可能性があります。

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書 633)

で、論客上野千鶴子氏は、辻井喬(堤清二)氏にセゾングループ衰退の責任と、経営者としての資質について鋭く切り込みます。

その「まえがき」の中で上野氏は、

セゾンについては、つねにシニフィエよりもシニフィアンの方が過剰である。
それは商品よりも貨幣の方がつねに多い慢性インフレ状態の資本主義と似ている。
そして信用を先送りしながら貨幣を発行し続ける資本主義同様、セゾンもまた、この運動をやめるわけにはいかないのだ。
セゾンという一企業集団について語ることは限りなく資本主義について語ることに似ている。

と語りますが、この部分は、今回書かれたものではなく、1991年の論文からの引用とされています。

バブル崩壊前夜に書かれたものですが、今のサブプライム問題への警鐘としても違和感がありません。

シニフィエとは記号内容、即ちイメージや概念のことで、いわばコンテンツ。
シニフィアンとは記号表現のことで、文字やデザイン、音声などで、キャッチコピーやブランドデザイン。

内容よりも外見やイメージが優先した時代の象徴が西武百貨店であり、広告部門を陣頭指揮した堤清二は、文化人的素養を持ち合わせたカリスマ的経営者としての「イメージ」を極大化させました。

今の雑然とした街並みからは想像も出来ませんが、かつて渋谷は文化の発信地であり、公園通りはその象徴でした。

緻密なマーチャンダイジング能力がなくても、発想とアイデアで池袋百貨店は売上日本一となりましたが、セゾングループは、その後リゾート開発にのめり込んだ西洋環境開発と、放漫融資の東京シティファイナンスが最大の病巣となり、解体されていきます。

米国の大量消費社会は、市場原理主義と親和性があります。
物欲に素直になり、規制から放たれた自由。

しかし、それは大きな代償を伴います。

サブプライム問題に関しては、金融業界の自制が働かない以上、明らかに一定の規制が必要でした。

規制は公共性となり、大きな力で我々を束縛します。

戦前の公共性は、戦争の遂行と勝利であり、軍部が暴走しました。

その反動で、日本には個人主義が台頭し、家族、地域コミュニティが弱体化し、職場が家庭の代替となり、秩序と帰属意識を肩代わりしました。

職場が家族社会であるからこそ、男性は自分の家庭への貢献を減らしても、自分の中では「忠誠心」を十分に支払ったという満足感がありました。

今企業は、グローバル競争のために家族性を捨てざるを得ず、結果としてどこにも帰属できずに孤立した人々が増え、休日の秋葉原も安全ではなくなりました。

FRBは利下げでアメリカを救うのか、ドル安でインフレを助長するのか。
身動きが取れなくなってきました。

信用の裏づけの無いドルを発行し続けることで、原油は高騰。

人間が自分の首を絞める行動に出れば、別の価値観が台頭します。

それは人道主義を装った規制であったり、愛国主義を纏ったナショナリズムであったりもします。

大きな流れとしては、規制=公共性を求める声が通りやすい流れとなっていますが、貨幣乱発の資本主義が行き詰まりを感じさせる中で、次にどのような価値観を資本主義に投入するのか。

間違った公共性を導入すれば、次世代には再び闇が待っています。

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