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March 22, 2009

金融VS製造

ファイナンシャルタイムスのトップ記事は、「Banker fury over tax ‘witch-hunt’」。

あるバンカーは、「高率課税はアメリカの一大産業である金融を潰してしまう。我々全部がAIGではないし、マッカーシーの魔女狩りのような行為は最もアメリカらしくない。」と訴えています。

金融業は、高い生産性があり、待遇が良い、というのはほぼ万国共通の現象です。

資本主義は第一次産業から第二次、第三次へと発展するので、金融サービス業は「選ばれて到達する職業」だからです。

しかし、アメリカはこのバランスが崩れ、

・金融は儲かる
・希望者が増える
・儲かる機会が足りない
・自ら金融商品を作り出し、レバレッジをかける

というプロセスによって、膨張が破裂しました。

大学を卒業する時に痛感しましたが、製造業は給料が安い。

製造業が日本の柱だと言うなら、もっと大卒の待遇を上げないと、商社か銀行かと迷うような学生を採用することは出来ないと思いました。

二十数年前、私は最近P社と名前を変えた製造業からもお誘いを受けましたが、結局お断りしました。

日本の製造業は、工場労働者が多いことで人件費抑制の圧力が働き過ぎ、賃金体系が悪平等化しているのかもしれないと当時思いました。

日本ではバブル後、金融業の待遇が大きく下がったので、相対的に製造業のポジションが改善されたようにも思いますが、だからといって魅力的になったとは思えません。

そもそも金融業のアドバンテージが許容されるには、単純な話、金融とその他の産業とのバランスが崩れていないことと、一定の倫理観が保証されていることが前提と考えられます。

アメリカにおける魔女狩りは、一般国民感情のガス抜き効果も含めて、健全化のための通過儀礼のようなものでしょう。

金融業の維持にそれほどの高給が必要とするなら、そんな金融は要らないというのが、普通の人の考え方だろうと思われます。

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Comments

このテーマは今後の日本を考える上でとても重要だなぁと思いました。

例えば、欧米は金融やITのみならず、製薬も非常に強いです。どれも利益率が高い(=給料が高い)ことが共通していますが、それは知識集約型の究極の形だと思っています。

「製薬は物を売っているのでなく情報を売っている」が以前に勤めていた製薬企業での大先輩の論でしたが、これは言い得て妙でその通りです。知識集約的であればその表現系がプログラムコードでもよいし投資活動でもよいし錠剤でもよく、その意味で欧米の方針は合理的です。

例えば任天堂は他の製造業と比較して非常に利益率が高いですが、いい意味で狭義の製造業を脱しているような気がします。逆に多くの他の日本メーカーは薄い利益率を量で補填するold-fashionが減収に比して異常な減益を誘発させてしまい今年の決算はまさに崩壊状態です。

製造業の中でも金融にその本質が近い業種や個別企業が存在します。もし日本が製造業を先鋭化させる気があるなら「便利で高機能な物」でなく「人を幸福にさせる媒体」を売るという発想の大転換が必要になってくると思います。

Posted by: Blue | March 22, 2009 12:05 PM

堺屋太一氏が最初に「知価革命」と言い出したのは、1985年のことですが、日本はバブルとその後始末に終始して、あるべき産業構造の議論をして来ませんでした。
「人を幸福にさせる媒体」は、モノよりもサービスの方が見つけやすいと思いますが、この面でも改革が遅れました。
それは、第三次産業への投資不足の結果と言えるでしょうが、規制が邪魔をしたのかもしれません。
もしも日本が今からでも知識集約型産業社会への移行が上手く出来たとして(現状では絶望的ですが)、次に来るのは、それで1億3千万人が食っていけるのか、という命題だと思われます。

Posted by: akazukin | March 22, 2009 12:42 PM

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