均質なものは脆い
幕末史がドラマの素材として面白いのは、藩ごとに経済力も考え方も違い、その個性が改革の大きなエネルギーとして集約していくプロセスに見応えがあるからでしょう。
江戸時代、各藩は参勤交代費用の捻出のため、知恵を絞って特産品を作り、大阪はそうした産品とコメの取引で大いに賑わいました。
近年の大阪の衰退は、こうした自由な商売の気運が廃れて、東京からの交付金にばかり依存する地方経済の象徴でもあります。
明治以降、中央集権体制になったのは、戦争遂行に都合が良いからです。
日清、日露、第一次大戦と勝ち進み、日本は大国となりました。
中央集権体制は戦後の経済戦争においても、限られた資源を最適に配分するシステムとして引き続き機能しましたが、平和に衰退する今、即ち知恵や個性的な工夫が求められる時代には、その「一律思想」が重荷になっています。
どこの地方都市もミニ東京化。
均質性ばかりを追求したため、異質なものに弱くなり、外的環境の変化への対応が遅く、外から来るものへの恐れを生んでいます。
今の若年層、特に男性は、なぜ海外に行かないのかと聞かれ、「恐いから」と答えています。
「鬼は外」という言葉に「差別だ」と噛み付く人権団体がいますが、汚らわしいものは外からやってくるという思想が古来から日本にはあります。
インフルエンザに関する水際対策を見ていて、一粒たりとも輸入しない、と言っていた過去のコメ政策の「潔癖精神」を思い出しました。
外敵から遮断して身を守りたい。
他人に対して壁を作ると安心する。
そうした心理が「世界一マスク好き」という現象の根幹にあるような気がします。
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