狭く深く、日本人は沈んで行く
安全安心のための規制は、まるで「お経」のように自然に受け入れられますが、安全志向はリスクテイカーを海外に追いやり、成長しない国内市場は年金制度への信頼を事実上崩壊させています。
安全のためには「ここからここまで」。
そう行動範囲を決めてしまうと、いつのまにか規制を守ることが最優先となり、「偽装」「隠ぺい」という言葉だけで思考停止になります。
痴漢と叫ばれれば証拠なしに有罪。
猟銃に6秒触れただけで違法。
ルール違反は問答無用で集団から排除。
大き過ぎるリスクがチャレンジ精神を萎縮させます。
狭い範囲で自由や創造性を追求すれば、「深く深く」進むしかありません。
わき目も振らず、一心不乱、○○馬鹿、24時間戦えますか。
理屈抜きの「集中」「没頭」が評価され、同じ事を2000回繰り返せば国民栄誉賞。
国民不在、気まぐれ的な受賞基準にも批判の声はあがりません。
政治と経済、そして若年層の未来が閉塞化するという制約の中で、日本人は理不尽なルールに果敢に立ち向かうリスクを避け、より「狭く深く」美意識や精神世界への思索を追求することで、心身のバランスを取ろうとしているようです。
阿修羅展の大行列や村上春樹現象も、その一つの現れなのかもしれません。
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