金融危機後、我々はどこで満足すべきなのか
リーマンショックからほぼ1年。
混乱と不信により機能不全となった信用市場も落ち着き、株式市場も底は打ったと認識されています。
金融危機前に、どのくらいの需要が底上げされていたのかというと、概ね3割~4割ほどではないかと思われます。
もし今をノーマルとするなら、3年前が「ウハウハ」で今は「ボチボチ」のはずですが、現実はそうではなく、以前が「ボチボチ」で今は「ギリギリ」です。
だとすると、我々は常にバブル状態でないと、普通の暮らしが出来なくなっていることになります。
これは一体どう理解すべきなのか。
色々なことを言う人がいます。
・そもそも人間は驕り、異常繁殖し、自然を破壊し続けている。
人間は多過ぎる。
金融危機も新型インフルエンザ流行も、人間の淘汰を望む神の意思である。
・金融業界のモラルが低すぎる。
過大な報酬を要求し、レバレッジを必要以上に高め、いまだに膨張した金融資本によって実体経済を振り回している。
徹底した規制が必要だ。
・格差を放置する政治が悪い。
富裕層から資産税を搾り取り、再配分によって貧困層の救済を行わなければならない。
・先進国は既に生活水準が過剰なレベルにある。
一人ひとりが農業に目を向け、自給自足型の経済へと逆戻りし、多くを望まない質素な暮らしを志向すべきだ。
要するに、昔に戻れ、だ。
・助け合いの精神が廃れたからだ。
昔はもっと思いやりがあった。道徳教育こそが世界を救うだろう。
・グローバリゼーションが最大の悪。
自由貿易は、結局果てしない自由競争であり、市場原理主義の象徴だ。
適度な保護貿易を認めて各国が国内産業の育成に努力すべき。
・そもそも完全雇用は難しく、通常状態では達成しがたい。
国が強制的にワークシェアリングを進めるべきだ。
何が正しいのか、私にはわかりませんが、人間は何かを選んで前に進んでいかなければならない存在だと思われます。
もしかすると、常に間違った選択を繰り返しているのかもしれませんが。
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