もう「型破り」は生まれないのか
日本で妬まれずに暮らすには、ある一定の「型」を守ることが確実です。
かつてはサラリーマンにも、ゴルフ、カラオケ、結婚、持ち家など様々な「型」が要求されました。
今はそうした縛りが弱くなって、かなり自由です。
冠婚葬祭で大騒ぎするような家族経営による面倒見の良さは減りましたが、一方でお仕着せがましさも減ったのです。
トヨタはある意味、働き方の「型」を極限まで追求するタイプでしょうし、ホンダは型破りの文化を残しつつも進化した会社と言えそうです。
スポーツの世界でいうと、野茂やイチローは型破りタイプでした。
松坂には特別の型破りは見られません。
石川遼は、むしろ猛スピードで「型」を身に付け、若くして何かを極めようとしているような気がします。
礼儀正しく、若者よりもむしろ大人に取って心地よいヒーロー像。
若年層に取ってみれば、自分たち世代の不満や圧迫感を代表する存在でもなく、さっさと大人の世界に飛んでいってしまったので、共感する暇も無かったという遠い存在。
現代の若者は、希望を殺し、質素な生活を送るという新たな様式美に一生懸命自分を合わせて生きようとしているように見えます。
彼らは政府に頼り、贅沢を言わず、草食系と呼ばれ、慎ましく生きていくことに人生の大いなる意義を見出すよう、自分に「型をはめて」いくのでしょうか。
企業はグローバル化する中で多様さの重要性に気付き、かつてよりも異端児に寛容になり、見えない縛りを緩めていますが、社会は逆に硬直化しているのかもしれません。
だとすると、企業は外国人の採用枠を増やすことで対応するので、日本人の雇用はますます苦しくなります。
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