権力の可視化へ進む日本
景気後退と呼応するかのように、品格だ、コンプライアンスだとうるさい世の中ですが、与党の最高権力者は品格が無くても務まるようです。
日本人が考える品格というのは、地位が上がる場合に要求が高くなる傾向があり、おそらく「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉に代表されるものと考えられます。
現連立政権は、天皇陛下に対してでさえ「京都へ引っ込め」と言い放ちます。
自民党の加藤紘一議員は、この政権は権力の行使に謙虚さがない、と批判しています。
自民党政権が謙虚だったかどうかはともかく、いわゆる「箇所付け」(地方県連に対する予算の事前告知)も、自民党は直前にコソコソやっていたのに、民主党は公然と実施して地元の新聞ネタにまでするという違いはあります。
配る金が潤沢にあった時代、その配分権という意味での権力は、むしろ黒子として裏で君臨するというスタイルの方が都合が良かったのでしょう。
経済が衰退し、配る金も少なくなると、むしろ政治が表に出て、権力を見える形で行使することで権力維持に繋げようという姿勢が必要になります。
もっともっと貧しくなると、1930年代のドイツのような政治状況にもなるかもしれません。
ビジネスで成功することが難しい社会では、時の権力に追随するしか成功する方法がなくなるからです。
まあ、いずれにせよ進む道を選ぶのは国民です。
と思わせて、実は一部の人間が決めてしまうものです。
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