日本人は相撲に何を求めているのか
WSJは今の相撲界を、「21世紀への適応に四苦八苦している」と表現しています。
暴力問題、マリファナ、野球賭博と犯罪のオンパレード。
そして今、犯罪ではない「八百長」で、最大の窮地に立っています。
そもそも日本人が全ての勝負にガチンコを要求しているのかというと、どうもそうでは無さそう。
だからといって、あからさまな八百長を許すわけでもない。
過去に数々の八百長報道がされていても、それが相撲界の「隅っこ」の方で行われている限り、全体への影響は軽微でした。
7勝7敗力士が8勝6敗力士に勝率8割なのはおかしいと指摘され、それは気合いの入り方が違うから、と言いつつ、完全に信じているわけでもないという微妙さ。
無論、無気力相撲や人情相撲が過半ともなれば誰も見に行かないでしょうが、どうしてもガチンコになれない取り組みもあるだろうと許容していることも前提であるような気がします。

そうでなければ、あの若貴決戦も八百長です。
・弟が兄に譲る美学だ
・貴は戦う前から心が折れていた
・貴はいつもガチンコだから許すしかない
様々な解釈によって人々はあの結果を受け入れました。
こうした複雑微妙な理解の上に立って歴史を乗り越えてきた伝統文化に対し、ただ保身のために金銭で星を売買するといった行為は、暗黙の了解を無視した暴挙と言えます。
悪事に手を染めながら慎重さを欠き、メールという安易な手段に走ったことは、ギリギリの境界線を超えずに頑張ってきた先輩力士たちに対して全く申し開きが出来ない行為ですが、だからといって怪我人が続出し、「興行」が成立しない事態を誰も望んではいません。
「そこまですることはない」の、「そこ」とはどこか。
特有の曖昧さ、「阿吽の呼吸」が21世紀に通用するのか。
様々な意味で、瀬戸際には違いありません。
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