浜岡原発を止めたことの資本主義的意味
今日、中部電力は二回目の取締役会を開き、政府要請に従い、浜岡原発の停止を決定しました。
止めること自体に私は反対ではありません。
しかしながら中電取締役会は、政府の要請と株主の利益の板ばさみとなり、政府の要請に従うことが長期的には株主の利益になる、という苦しい理屈で株主訴訟に臨むことを覚悟させられたことになります。
これは、そもそも取締役会の決定事項としては想定外。
裏返せば中部電力取締役会は、民間企業としては荷が重過ぎる判断を迫られ、株主ではない者からの要請を優先することで、独立した意思決定機関としての限界を露呈しました。
合理的な帰結として考えられるのは、全ての電力会社の国営化、上場廃止です。
政府の意向一つで赤字になってしまう会社の企業価値を、毎日の市場取引で決定することは資本主義になじみません。
電力会社は国策と国の安全基準に則って原発を推進した結果、今度はその停止を事実上命令されたのですから、これは単純に国の敗北であり、国家がケツを拭くのが当然の結論です。
今や全ての電力会社は、民間資本が投資する対象としては不適格。
政府と東証は早急に協議し、国による全電力会社のTOBを実施することが、現時点では最も理屈に合っているように感じられます。
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Comments
やはり少なくとも原発は国の直轄にするべきなんでしょうね。
そうすれば株主の不利益になる決断を、取締役自らがしなくて済みます。
Posted by: yamazakidog | May 10, 2011 12:49 AM
原発は事故が起こった時のコストが大き過ぎて、私企業では負担できないことが今回わかりました。
地域独占という事業形態も、もはやメリットが見えません。
50HZ、60HZ問題も長期的には解消する事が望ましい。
いずれの課題も今のように雑多な株主がいる状態では意思決定が出来ないでしょうね。
Posted by: akazukin | May 10, 2011 07:10 AM
理屈には確かに適っているかも知れませんが、原発を含むエネルギー政策を国家としてどうするか明確な方針の下で、が先だと思います。
東電にしても、その責任を回避して生き残るような安易な解決は許されません。一国民の思いです。どんな真剣に原発の危険を訴えた声があってを、押さえ込んできた歴代経営陣はみな、刑務所に入れるべきだという、西尾幹二氏の極論は真実をついています。
電発というシステムは、複雑多岐で、人間工学の範疇を越えています。建設工事施行の下請けがミスをしてもそれを隠していたら、どうなりますか。東電や保安院のお偉いさんはご存じないでしょうが、現実は、大ありなのです。
地震活断層上に電発を建設し続けたのは、資本主義の問題でなく、科学・工学無視の経済人の発想です。今や日本列島は、地震活動期に入りました。浜岡のみならず、ほら、あそこも危険です。
Posted by: 河合一充 | May 13, 2011 02:28 PM