« 浜岡原発を止めたことの資本主義的意味 | Main | シカゴ筋ポジションの確認(5/10時点) »

May 11, 2011

なぜ日本の政治は非常時に機能しないのか

国家最大の非常時は戦争です。
従って、戦争回数が多いほど、非常時に関する国民的経験値は高くなると考えるのが自然です。

欧州諸国は概ね3000年間、国家間の戦争を経験し、非常時の訓練を豊富に積んでいます。

アメリカは建国から僅か235年ですが、独立自体が戦争でしたし、政治の中心にいるのは欧州からの移民の子孫たちです。

日本は島国という天然要塞のお陰で対外戦争の経験が少なく、非常時の経験値が不足しています。
唯一戦争ばかりしていたのは、1894年から1945年の50年間。

しかもそれが極端な軍部への権力集中を招き、最後は被爆して敗北するという結果に終わったことが、この国に「権力集中恐怖症候群」を産みました。

非常時=権力集中=軍国主義=戦争=廃墟。
この刷り込みが、メディアの大衆迎合と権力への過剰な「揚げ足取り」に繋がっている可能性があります。

そうした国民性を反映してか、本来はシンプルな意思決定構造が望まれる非常時にあっても、会議や委員会が乱立する奇妙な事態を招いています。

乱世に弱い体質は、反面平和時には強いと考えられます。
戦後のアメリカ一強時代、日本は経済面で無類の強さを発揮しましたが、ここ20年ほどは自らの老化と若い新興国の台頭で、不利な状況が続いていました。

そして今、震災と66年振りの再被爆が追い討ちをかけています。
電力さえ思うように使えず、汗だくで電車に乗るのは、日本がかつて通り過ぎた後進国の姿。

落日は明白です。

この記事が参考になりましたら BlogRankingに一票をお願いいたします。

|

« 浜岡原発を止めたことの資本主義的意味 | Main | シカゴ筋ポジションの確認(5/10時点) »

Comments

日本人は論理的に考えない世界で唯一の民族です。欧米人のみならず中国人も朝鮮人も考えるということは、論理的に考えることを意味します。日本人が論理的に考えない(もしくは論理的に考えることを軽蔑する)のは論理的思考が出来ないからではありません。論理的思考が必須である理論物理学や数学の分野で優れた業績を挙げた人がたくさんいます。では日本人は論理的に考えずに何に基ずいて考えているのでしょうか。それは邑(むら)の論理に基ずいて考えているのです。(これは全くの私見です)邑の論理とは己の所属するグループの和をもっとも重視するという思考方法です。例えば教授のもとのグループでは教授の意見に反対するなどもってのほかです。それはそのグループの和を乱すからです。こういう思考方法では議論は成り立ちません。日本人間では議論が成り立たないとよく言われますが、それはこのことに原因があります。原発の問題でも安全問題を議論しようとすると、そんなことを言うと原発に不安を抱く人がでて推進に支障がでるという理由で議論を封じこめたのも、この論理です。従ってこの事態を改革するのは一朝一夕に出来ることではないと思っています。非常に面白い議論を読ませてもらったので、私なりの意見を述べさせてもらいました。 以上

Posted by: 関口正生 | May 12, 2011 11:41 PM

関口様

コメントありがとうございます。

論理性よりも、所属する組織の利益や結束を優先する傾向が際立って強い国民であるというご意見だとすれば、全く同意です。

今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by: akazukin | May 14, 2011 02:12 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




« 浜岡原発を止めたことの資本主義的意味 | Main | シカゴ筋ポジションの確認(5/10時点) »