カタルーニャはスペインから独立できるのか
カタルーニャ自治州のマス首相は先月27日、スペインからの分離・独立を問う住民投票を11月9日に実施する法令に署名しましたが、中央政府のラホイ首相は、「住民投票はスペイン憲法に準拠していない」として、投票差し止めを求める訴えを提起。
スペイン憲法裁判所は29日、憲法審査のために投票を差し止め。審査期間は最大5カ月になるとしています。
しかしながらマス首相は住民投票断行を宣言して選挙管理委員会を設置したと報道されており、適法判断がないまま強行するのかどうか、今後の推移が注目されます。
スコットランドの場合は、投票の2年前に、まずキャメロン首相を油断させ(?)、投票を認めさせておいてから運動を盛り上げるというプロセスで接戦を演出しましたが、それに比べると対決姿勢が強く、戦略の巧拙という点でどうなのだろうか、とも感じられます。
スコットランドはUKの中で、人口も経済(GDP)も10分の1弱くらいの規模でしたが、カタルーニャは人口が16%で経済は20%。
州サイトによると、一人あたりGDP(2013年)は、スペイン平均の22,772ユーロに対して27,698ユーロと、2割高い水準。
払っている税金ほど地元に恩恵がない、独立すれば豊かになれる、という思いがあります。
カタルーニャ地方には、紀元前に先住民のイベリア人が住み始め、その後は支配者が、ギリシャ→ローマ→西ゴート族→ウマイヤ朝(イスラム)→フランク王国と代わった後、10世紀に独立。
8世紀から15世紀までレコンキスタが続いた他のイベリア半島地区と比べ、イスラム支配の期間が1世紀程度と短いのが特徴。
これは、8世紀に全盛を極めたフランク王国の力を借りてイスラム勢力に対抗できたことが大きく、伝統的にローマやフランスの影響が残る歴史的な経緯が感じられます。
12世紀には隣接のアラゴン王国と連合し、最盛期の領土は左図のように、イタリア南部やギリシャ東部にまで広がりました。
15世紀になると、イベリア半島中央部のカスティーリャ王国が新大陸へ進出。
中央のマドリッドとバルセロナの力関係は、急速にマドリッドに傾きます。
それでもマドリッドに対して対抗心の強いカタルーニャは、18世紀のスペイン王位継承戦争でハプスブルク側に付き、最後までカスティーリャ王国に抵抗しますが、敢えなく敗北。
カタルーニャの自治権は剥奪され、カタルーニャ語の使用も禁止されました。
文化を殺されるのは、根に持つもの。
クラシコ(レアルvsバルサ)が、あそこまで熱い理由が、分かるような気がします。
カタルーニャの不遇は1979年のフランコ政権崩壊まで続きますが、その後は徐々に自治権を回復させて来ました。
カタルーニャ語をチラ見すると、「こんにちは」が「Bon dia(ボンディア)」、「さようなら」が「Adeu(アデュウ)」。
ブエノスディアス、アディオスと比べて、やはりフランス語寄りです。
バルセロナの人は、スペイン人の平均より勤勉で裕福という自負があるようなので、ミラノがローマを小馬鹿にするのと似たような意識が、マドリに対してあるのかもしれません。
一番重要な(?)サッカーのことは、どう考えているのか。
もしも独立したらバルサ(とエスパニョール)はリーガから出ることになる?
ドル箱対決が無くなるのはレアルや他のチームも困るはず。
最悪の場合はフランスリーグに移ることを材料に交渉する、というのがバルサ側の腹づもりのようです。
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