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May 31, 2015

金まみれのFIFA~ホルスト・ダスラーという亡霊~

どの世界にも金に汚い面はあるに決まってますが、その規模において、スポーツビジネス、特にサッカー界の闇は群を抜いている印象があります。

今般アメリカがこのタイミングで、「神聖なスポーツを金まみれにするFIFAに正義の鉄槌を下そう」と考えたのは、裏で欧州からの要請があったのか、サッカー人気がアメリカで高まる中で、今のうちに汚職体質を是正させつつ、FIFAへの影響力を持ちたいと考えたのか、次回ロシアW杯への嫌がらせか、ブラッターとはどんな「取引」をしたのか。
様々な想像をさせてくれます。

Horst_dasslerjpg__198x0_q85_cropsma「スポーツと金」の話になると、アディダスのホルスト・ダスラーを抜きには語れません。(写真)

イタリアのフィレンツェに、フィオレンティーナのホームスタジアムであるスタディオ・アルテミオ・フランキがありますが、その名前の元となったアルテミオ・フランキは、UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の第3代会長であった1983年に自動車事故で亡くなりました。

この時、ヘルシンキで開かれていた第1回世界陸上選手権に集まっていたスポーツマーケティング関係者は、「ホルスト・ダスラーがとうとうやったか」と噂しあったと伝えられていますが、この背景には日本の電通も絡んでいました。

前年の1982年、ダスラーは電通と共同出資(アディダス51%、電通49%)で、スイスにISL(International Sports and Leisure)を設立。

ISLは、FIFAワールドカップ、UEFAヨーロッパ選手権、UEFAヨーロッパ・クラブ選手権などの権利を抱きあわせで販売する「インターサッカー 4」の権利を獲得。

UEFAのフランキが面白くないのは当然で、フランキとダスラーは激しく対立していたのです。

ホルスト・ダスラーが生まれたのは1936年。
父親はアディダスの創業者であるアドルフ・ダスラーで、成人したホルストはフランスのアディダス事業を任されました。

上昇志向が強く、父のドイツ・アディダス、伯父の「PUMA」とも競争し、競泳用水着で有名な、あの「Arena」も創業しました。(アディダスやナイキの簡単な歴史は過去記事の「世界と日本のスポーツメーカー」)

ホルスト・ダスラーは、IOC(国際オリンピック委員会)のアントニオ・サマランチ会長、FIFAのアベランジェ会長、IAAF(国際アマチュア陸上連盟)のプリモ・ネビオロ会長らと「緊密な関係」を構築。

1974年のワールドカップ西ドイツ大会では、2度目の優勝を遂げた西ドイツ代表チームのユニフォームやスパイク、さらには大会公認球もアディダス製であったため、その知名度は世界中で高まりました。

同じ1974年に、懇意だったアベランジェがFIFA会長に就任すると、ホルストはFIFAとの「緊密な関係」を現金化する仕組みに乗り出します。

1975年、まずは現FIFA会長のブラッターを、「競技普及部長」としてFIFAに送り込みます。
ブラッターは、1972年のミュンヘン五輪当時、ロンジンの広報担当としてホルスト・ダスラーに出会っており、ホルストがFIFAへの就職を「斡旋」しました。

次にホルストは、世界で最初の本格的スポーツマーケティング会社と言われるウエスト・ナリー社とタッグを組みます。

アベランジェが公約とした世界ユース選手権が1977年に始まると、ウエスト・ナリー社と共に、コカコーラをスポンサーに誘致。

ホルストとウエスト・ナリー社は、翌1978年のワールドカップアルゼンチン大会で「広告看板」の販売を始めますが、コカコーラの例が先鞭となり、世界的企業がスポンサーに連なるようになりました。

1982年のワールドカップスペイン大会では、広告看板販売で100億円の売上を計上。
これは大会事業収入の3分の1に相当しました。

味を占めたホルストは、自らスポーツマーケティング会社を作ることを決心。
82年スペイン大会のセールス権を博報堂に取られて悔しがっていた電通を巻き込んでISLを設立し、前述のフランキとの確執が強まることとなりました。
ちなみに電通の出資額は、ISLが86年メキシコW杯の権利獲得ために支払った金額と同額であったことが後に判明しています。

フランキという敵対者がいなくなると、しばらくはISLの黄金時代が続きました。

しかしながら、栄華は短く終わります。
天の思し召しなのか、何かが当たったのか、フランキの「事故死」から僅か4年後の1987年、ホルスト・ダスラーは51歳の若さで病死。

強すぎるリーダーがいなくなり、求心力を失ったアディダスは後継を巡って迷走。
一時は経営権がフランス人投資家の手に渡るなど混乱する内に、ナイキに追い抜かれました。

ISLもタガを失い、次々と有力幹部が離反。
苦し紛れにテニスや南米サッカー、カーレースにまで手を広げましたが、高額の権利取得で損失を重ね、2001年に破綻しました。

スポーツが金になることを体現したホルストが亡くなって約30年。

当初はホルストの使い走りに過ぎなかったブラッターは長生きし、アジア・アフリカというサッカー弱者に巧みに餌を蒔く、タクシン的な手法でFIFAに君臨していますが、巨大化したマネーはスポーツ界を翻弄し続けています。

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