「夢見るドイツ」のリスクに注意
パリでのテロもあり、難民受け入れに最も寛容なドイツの姿勢にも、更なる変化が生まれる可能性が指摘されています。
そもそも日本におけるドイツのイメージと言えば、サッカーに象徴される組織力や規律性、法律や哲学に見られる論理的な思考力、日本と共通する職人的な技術信奉などが浮かびますが、その最大の長所とみられていた「ルールを守る」という信頼感は、最近になって決定的に崩壊しました。
あれほど「決まり」に忠実であることを重視し、ギリシャ人を罵っていたドイツ人の姿は虚構だったのでしょうか。
「ドイツリスク 「夢見る政治」が引き起こす混乱 」(光文社新書)は、日本に有りがちな「ドイツ見倣え論」に警鐘を鳴らし、ドイツ人の理想主義的な政策決定の危険性を顕わにしています。
読売新聞編集委員の著者は、2011年にベルリン駐在。
本書の冒頭部分では、ドイツとイギリスの東日本大震災に関する報道振りが比較して紹介されていますが、ドイツでは放射能の危険性が強調され、日本の対応が一定の効果を上げている部分は殆ど紹介されません。
ドイツのニュースキャスターは、「炉心溶融は決定的だ。福島にはチェルノブイリの20倍の使用済み核燃料があるため、はるかに酷い事態になる可能性がある」と語り、放射線医は「福島の作業員達は、チェルノブイリの事故作業員と同じように放射線にさらされている。後の世代の人間も、遺伝形質を変える放射能にさらされるだろう」。
マスク姿の通勤風景の写真には、「放射能から身を守ろうとしている」とのキャプションが付けられます。
こうした扇情的な報道が「緑の党」に政治利用され、一気に原発廃止へと突き進んでしまった世論の急傾斜振りが紹介されています。(そもそもメディアが「緑の党」に支配されてしまっているという見方もあります)
一方のイギリスでは、「炉心溶融という言葉は刺激的だが、福島の爆発はチェルノブイリとは全く違う。放射線量はずっと少なく、タイミングに批判はあるものの、避難地域が設けられ、政府は人々や食料のモニタリングを行っている。」
「チェルノブイリの再来」という結論を決めつけ、被害を誇張することで「理想」の原発廃止へ誘導しようとするドイツの報道振りは、恐怖さえ感じさせます。
ドイツのヘッセン州にあるビブリス原子力発電所は、日本の震災後わずか1週間で停止させられましたが、電力会社が突然の停止命令に対して訴訟を起こし、ドイツの連邦行政裁判所は強制停止を違法と認定しました。
現在は、損害賠償について、国と州が責任を押しつけ合うという醜い争いをしています。
一色に染まりやすいこの国が再び世界をリードするようになったら、どんな「理想」を掲げて突進してくるか分からない。
隣国のフランスにとって、東西ドイツの統合は、そうしたリスクの顕在化であり、ドイツの突破力を閉じ込めるためのユーロ構想は、安全保障に不可欠のものだったと思われます。
ドイツにとっては、人類史上最悪のホロコーストを生んだ国というレッテルを消し去るため、日本以上に歴史に被虐的・否定的になる必要があり、「ドイツはマルクを捨てて、欧州一家の一員となる」というコンセプトは都合の良いものでもあったでしょう。
ドイツ人の作った車は質実剛健でデザインも機能美中心ですから、官能美に陥りやすいフランスやイタリアより現実的な国民という印象を与えますが、ドイツ人の世界観は、童話や音楽など抽象的で耽美的なものを好み、近隣の森の中に神秘を発見し、環境絶対主義に傾倒しやすいロマン主義的な性格を合わせ持っています。
こうした特性は企業統治にも影響し、アメリカのように、市場による広範な監視が公正さを維持するという考え方を、労働者をモノのように見る冷たい資本主義として嫌い、少数株主が支配する家族主義的な経営に寛容です。
フォルクスワーゲンのような超大企業において、過半数をポルシェ家の持ち株会社に保有されるという極端なガバナンス体制が続いたことは象徴的です。
ドイツ人の組織力や規律性は、裏を返せば、一度決まってしまうと盲目的に邁進し、批判や路線修正が許されない一直線な特質だと理解すれば、ヒトラーの暴走を止められなかった歴史も納得できます。
最近のドイツの失敗で代表的なのは、ベルリン新空港工事。(画像は、昨年11月の読売新聞記事)
当初2011年に開港予定だったものが、いまだに具体的な目処が立っていないというスーパー迷走振りです。
これに比べれば、新国立もエンブレムも些細なミスにしか見えないので、ドイツ人のトーマス・バッハIOC会長がことさらに騒ぎ立てないのも頷けます。
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