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July 18, 2016

10分でわかるイギリスの歴史①(名誉革命まで)

ブリテン島には、紀元前700年ごろからケルト人が住みついていたとされます。
ケルト人は鉄器を使っていましたので、戦車や馬車を作り、中央アジアの草原からヨーロッパに侵攻してきました。

このケルト人の島に、本格的にローマ帝国が攻め入ったのは、第四代皇帝クラウディウス帝の時(紀元43年)です。

以降、ブリテン島主要部はローマの属州となりますが、次第に北部のスコット族からの攻撃に悩まされ、紀元2世紀、第14代皇帝ハドリアヌスは長城を築きました。

140835677715646303225この長城は17世紀まで軍事的に使用され、現在のイングランドとスコットランドの境界の基礎となりました。

次の第15代皇帝アントニヌスも、更に北方に長城を建設しましたが、4世紀、イタリア半島にゲルマン人が進入してくると、ローマ帝国は東西に分裂。
辺境の地に軍勢を置いておく余裕はなくなり、5世紀には正式にブリタニアを放棄しました。

ローマ人が撤退した後のブリテン島には、ゲルマン系のアングロサクソン人が上陸し、七つの王国を樹立。
ケルト人は、主にスコットランドとアイルランドに追いやられ、独自の文化を継承することとなります。

01この時、一部のブリテン人は仏・ブルターニュ地方へ移住。

ブルターニュはブリテンの仏語読みで、小さなブリテン=ブルターニュと区別して、ブリテン島は大ブリテン(グレート・ブリテン)と呼ばれるようになりました。

小国乱立状態であったイングランド地方を統一したのは、9世紀の初めのアルフレッド大王。
大王は、当時勢力を増していたヴァイキング(デンマークを拠点とするデーン人)の侵攻に抵抗し、法典の制定や学芸を保護して国を纏めることに努めました。

しかしながらアルフレッド大王の死後、イングランドはデーン人の支配を受けることとなり、ノルマンディーに亡命していたエドワード懺悔王が一時的に支配権を取り戻すものの、1066年にはノルマンディー公ギヨーム2世がイングランドを征服し、ウィリアム1世としてノルマン朝を開きます。

このウィリアム1世が現在のイギリス王室の開祖とされていますが、本人はノルマンディー公の庶子であり、英国王室の原点はフランス人かつ本妻の子ではなかったということになります。

ノルマン人の支配によって、英語にフランス語が流入。
「pig」が食卓では「pork」となるなど、被支配階級は英語、支配階級は仏語という言語の二重構造も生まれました。

Map_queen_1_2元々ノルマンディー公はフランス王の臣下ですが、12世紀から13世紀にかけてのプランタジネット家の時代には支配地域を拡大し、王領地よりも広大。

面白くないフランス王フィリップ2世は、 プランタジネット家のジョン王に結婚問題で難癖を付けて領土を没収、戦いを挑んだジョン王を返り討ちにし、ほとんどの領地をフランスに取り戻します。

フィリップ2世は尊厳王としてフランス人から讃えられる一方、ジョン王は失地王と呼ばれて人望を失い、1215年の大憲章(マグナ=カルタ)によって課税権限も縮小されます。
その後イギリス王室では、縁起の悪いジョンという名前を付けなくなりました。

ジョン王の孫の孫であるエドワード3世は、フランスで王位継承争いが起こると、失地回復のチャンスとばかり、自分の母親がフランス王の娘であったことを理由にフランスの王位継承権を主張。
いわゆる百年戦争が始まります。

戦いは当初イギリスが有利だったとされますが、1429年、イングランド連合軍に包囲されたオルレアンをジャンヌ・ダルク率いるフランス軍が解放したことで、次第にフランス有利に展開。
1453年、フランス軍がイギリス領のボルドーを占領したことで終結しました。

百年戦争の直後、1455年から30年間、今度はイングランドの王位継承を巡って内乱となり、ランカスター家(家紋が紅バラ)とヨーク家(白バラ)の「バラ戦争」が勃発。

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結局、ランカスター家の一族のテューダー家ヘンリーが、ヘンリ7世として即位し、ヨーク家のエリザベスと結婚することで手打ち。
家紋も両方のバラを用いたものに変更されました。

戦争と内乱で多くの有力な封建貴族が没落したため、テューダー朝は絶対王政を実現しやすくなりましたが、戦力は疲弊しており、ヘンリ7世は婚姻外交を展開。

まずは大航海時代で国力を増したスペインとの関係を重視し、長男アーサーの妻としてスペイン国王の娘キャサリンを迎えます。

しかしながら肝心のアーサーが数ヶ月後に死去。
それならばキャサリンをアーサーの弟のヘンリの妻にしようと、兄弟双方との結婚という特別許可をローマ教皇から手に入れました。

しかしながら、そこまで無理をしたヘンリ8世とキャサリン夫妻に男子が生まれず、ヘンリはキャサリンの侍女だったアン・ブーリンと恋仲になったため、今度はキャサリンと離婚するための許可をローマ教皇に求めます。

カトリック教会は離婚は認めていないので、キャサリンとの結婚を無効にすることになりますが、「特別に許可しろ、今度は無効にしろ」という都合の良い申し出に渋る教皇を見て、ヘンリー8世は教会との決別を決意。

1534年に国王至上法を制定して、国王をイギリスの教会の首長とする国教会制度を作り、ローマ教会と絶縁しました。

ヘンリー8世の後を継いだエドワード6世は早世したため、ヘンリ8世と最初の妻キャサリンの娘であるメアリ1世がイギリス最初の女王となります。

彼女の母親キャサリンはスペイン出身ですから、メアリ1世はカトリックの復興に努力し、自身もスペインのフェリペ皇太子と結婚し、プロテスタントの指導者を次々に粛正します。
血塗られた政治を行ったメアリ1世は、カクテルの「ブラッディ・メアリー」にその名を残しています。

次のエリザベス1世は、ヘンリー8世とアン・ブーリンの娘。
彼女はカトリック寄りの政治を改めて、イギリス国教会による宗教統制を復活。

カトリック教徒たちは、当時イングランドに避難していたスコットランド女王のメアリ・スチュアートの元に団結しようとしましたが、エリザベスはメアリ・スチュアートを処刑して王位の安定を図りました。

かつてメアリ1世と結婚していたフェリペ皇太子は、国王フェリペ2世となっていましたが、機会あればイギリスを叩こうと思っていたところ、同じカトリックであったメアリ・スチュアートの処刑も良い口実とみなして、イギリス侵攻を計画。

「無敵艦隊」を率いてドーヴァー海峡に攻め入りますが、海賊上がりのフランシス・ドレイク率いるイギリス海軍が、これを打ち破ります。

エリザベス1世の時代は、イギリス宗教改革を完成させ、海賊を支援してスペインと対抗し、イギリス海洋帝国の基礎を作ったと評価されますが、「わたしはイギリスと結婚した」と、世継ぎは無し。

そこで次の王はスコットランドから迎えることとし、ジェームズ1世として即位。
スコットランドとイングランド両国は同君連合に発展するという目出度い話になりましたが、このジェームズ1世は処刑されたメアリ・スチュアートの息子です。
ここで、チューダー朝が途切れてスチュアート朝となります。

ローマ教皇に遠慮する必要が無く、政治も宗教も統括できるイギリス国教会システムは王室に都合が良いので、ジェームズ1世は王権神授説を主張して傲慢となり、ピューリタンを迫害。

迫害を逃れるため、一部のピューリタンはメイフラワー号で北米へ上陸し、新大陸での植民地開拓の基礎が作られていくことになります。

ジェームズ1世を継いだ息子のチャールズ1世も専制政治を受け継ぎ、国教会システムを故郷のスコットランドに持ち込もうとしました。

これに反対運動が起こると、スコットランドに攻め入る戦費を求めて議会を開催したものの、要求は受け入れられずに国王と議会が対立。

この混乱を収めようと、1649年、議会軍の指導者オリバー・クロムウェル率いる鉄騎兵がチャールズを捕らえて処刑。
このピューリタン革命(清教徒革命)によって、イングランドは王政から共和制へ移りました。

とは言うものの、権力を握ったクロムウェルは反対派を弾圧。

王党派の撲滅を理由にアイルランドやスコットランドに侵攻した他、オランダやスペインを攻撃。
議会を解散して終身護国卿となり、軍事独裁政治を強いたため、まだ前の方がマシだったと王政復古の気分が高まります。

クロムウェルが死ぬと、清教徒革命で処刑されたチャールズ1世の息子のチャールズ2世が即位。

チャールズ2世は、クロムウェルに追われてフランスに亡命していたため、カトリックに染まっていましたが、専制政治は行わず、宗教の自由を認めると議会に約束してイングランドに戻りました。

しかしながら、いざ王位に就くや、カトリックの復興を画策。
次に王となった弟のジェームズ2世も、兄弟一緒にフランス贔屓で、カトリックを擁護して議会と対立。

危機感を抱いた議会は、1689年にジェームズ2世を退位させ、娘メアリ2世とその夫のオランダ総督ウィリアム3世(プロテスタント)を王位に就けます。

血が一滴も流されなかったこの王位交代劇は名誉革命と呼ばれていますが、要するにジェームズ2世が戦わずにフランスへ逃げ戻ったことによる無血クーデターであり、議会は国民の生命や財産の保護を定めた「権利の章典」を制定しました。

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常にブリテン島の権益を狙うフランス。

世継ぎ問題が絡むとは言え、カトリックから「離脱」したイングランドに取って、余計にフランスの影響は危険な対象となりました。

一方、ローマ教皇という重しが取れた王室は強くなりすぎるので、いかに議会が牽制力を確保できるのかも常にテーマ。

絶対権力を行使して戦争をしたい王と、戦費徴税を避けたい議会は、常に緊張関係にあります。

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