5分で振り返るポンドの歴史(2022年改訂版)
いち早く産業革命によって工業力を増し、1850年代にインドの植民地支配を確立させたイギリスは大英帝国と呼ばれ、19世紀のポンドは基軸通貨でした。
日露戦争の戦費調達のため、当時日銀副総裁だった高橋是清が二度もロンドンを訪れ、ポンド建て日本国債発行に奔走したことは良く知られています。
イギリスの最大支配権地域は、ざっと下図の通りです。
1873年に出版されたジュール・ベルヌの「80日間世界一周」は、ロンドンからスエズ運河(エジプト)を通って、インドのボンベイからカルカッタ、そしてビルマを経て香港、横浜、サンフランシスコ、そしてニューヨークからロンドンに戻るというルートですが、日米以外は全て英領でした。
この広大なる大英帝国も、20世紀前半の二度の世界大戦で弱体化します。
ドイツとの戦争で疲弊した英国民は癒しを求め、日本が敗戦する1945年8月の直前7月の選挙で戦争の英雄チャーチルを退陣に追い込み、「ゆりかごから墓場まで」を合い言葉に福祉政策の充実に舵を切りました。労働者の権利は強く保護され、基幹産業は国有化されます。
働く意欲は失われて産業は非効率となり、60~70年代の英国は、労使紛争の多発と経済不振のため、「ヨーロッパの病人(Sick man of Europe)」と呼ばれました。
ロールスロイスもジャガーもこの時期に国有化され、現在ではロールスロイスの自動車部門は独BMW傘下、ジャガーはインドのタタ・モーターズ傘下です。
何しろ病人の通貨ですから、1970年代前半のポンド/ドルは、2.6→1.6と、4割も安くなりましたが、質素倹約と勤勉をモットーに育った雑貨屋の娘サッチャーは、落ちぶれた帝国の姿に奮起します。
「私が戦わなかった日は1日も無い」と猛烈に働き、79年に政権の座に着くと、「働かざる者食うべからず」を旗印(?)に、自己責任、自助努力に基づいた改革に乗り出します。
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