投資観点でのフィリピン
最近、収容所からのリモート犯罪で話題になったフィリピン。
80年代には、空港で射殺されるベニグノ・アキノ氏のショッキングな映像が世界に向けて配信されましたし、イメルダ・マルコス夫人の3千足の靴も話題となり、一般的なフィリピンのイメージは、犯罪と格差かもしれません。
2016年から1期6年大統領を務めた元検事のドゥテルテは、犯罪者を即時殺害することを容認。しかしながら間違った「処刑」もあったとされ、人権団体からは強く批判されました。
またドゥテルテの選挙資金には、マルコス家の隠し財産が使われたとの疑惑があり、ドゥテルテはそれまで許されなかったマルコスの遺体の英雄墓地への埋葬を許可しました。
フィリピンが西洋人に発見されたのは16世紀の初め。
1521年、スペインの支援を受けたポルトガル人のマゼランが上陸しましたが、現地住民と対立して戦闘となり、セブ島の隣のマクタン島で戦死。世界一周は彼の部下が翌年達成しました。
マゼラン一行を撃退したマクタン島のラプラプ王は、現地では英雄です。
スペインは1543年、時の皇太子フェリペ2世にちなんで「フェリペナス諸島 」と、この地を命名し、これが国名の由来となっています。
1565年には、当時スペイン領のメキシコから来たミゲル・ロペス・デ・レガスピが初代総督となってフィリピンを制圧しますが、1898年の米西戦争で宗主国はアメリカに代わり、第二次世界大戦では日本が占領しました。
1942年、米極東陸軍司令官としてフィリピンにいたマッカーサーは、一時オーストラリアに撤退しましたが、その時の"I shall return" は有名です。
戦後の1946年に独立した後、1965年から約20年間は、元軍人で自称抗日ゲリラのマルコスによる開発独裁が続きましたが、83年のベニグノ・アキノ暗殺に刺激された86年の「ピープルパワー革命」で失脚してハワイへ逃れ、89年にその地で死にました。
ハワイで12歳年下の夫の死を看取ったイメルダ夫人は91年に帰国。何回かの裁判を乗り切り、下院議員にも複数回当選し、現在93歳。現大統領のフェルディナンド・マルコス・ジュニア氏(64)は実の長男です。
そして副大統領は、ドゥテルテの娘のサラ・ドゥテルテ。教育大臣を兼任しているのは、マルコス家の黒い歴史を書き換えるためだろうと不安視する人もいます。
振り返ってみると、スペイン統治はこの島々にキリスト教(カトリック)を残し、アメリカ統治は英語を残したと言えそうです。
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